| 十二単を、他の国の民族衣装と比較した場合、その最も顕著な特徴として挙げられるものは、色の配合といわれている。袖口、襟合わせ、裾回しに見られる、「襲ね」と呼ばれるものである。「襲ね」の色目は、十二単の中心的役割を果たしている「五衣」の配合形式により、「匂い」とか、「薄様」といった名前がつけられている。匂いとは、同系色を下から上へ順次濃くしていくもので、つまりグラデーションである。薄様も同じくグラデーションをかけているが、下の二領だけ白を用いている。
一般的に、十二単は、その華やかさが称えられるが、「襲ね」そのものは、むしろ微妙な濃淡が特徴であって、華やかさという表現はあたらない。むしろ、単色系の婉然としたものである。十二単が華やかに感じられるのは、「襲ね」の部分と、その他の衣、たとえば長袴、唐衣等とのコントラストによるものであって、色彩が強烈であるためではない。この「襲ね」の色目は、何を手本としたのか。ただいたずらに色を並べたわけではなく、単純に色の濃度を上げて行ったわけではない。そのことについて、長崎盛輝氏は「色・彩色の歴史」の中で、次のように書いている。
「我が国は南北に細長くのびる島国で、寒帯と熱帯の中間の温帯に属し、気候は温和、春夏秋冬の四季に恵まれ、その間霞・霧・雨・雪を見る。草木は四季の変化に応じて発芽、開花、青葉、紅葉、落葉して色を変え、ある時は多彩の、ある時は単色調の環境色をつくる。また、季節の移り変わりによる温度の変化は、春の温暖、夏の暑、秋の清涼、冬の寒と漸次推移的で、その変わり目の早春・初夏・初秋・初冬は前後の季節が重なり合う。こうした漸層的にしかも対比的に移り変わる自然環境への融和を第一とした平安貴族は、人工の美は自然があらわす美の理法に従わねばならぬと信じた」
日本の自然は、劇的に変化することは少ないが、しかし確実にその姿を移ろいで行く。その緩やかな安定感に、平安人は、畏敬と親しみを覚えたことであろう。自然にこそ真の美しさを求めるべきという考え方は、誤解を恐れずに言えば、日本人の宗教観にもつながるものではないか。日本の一般的な宗教観では、キリスト教やイスラム教のような絶対者を求めない。仏教にしても、インドや中国のそれとは、相当趣を変えていて、やはり絶対者という概念は薄い。日本人が、もし絶対の存在を認めることがあるとすれば、それはやはり自然の中にこそ求めるしかなかった。それも、絶対という言葉が不適切と思われるほど、やわらかく、あいまいな存在として。
平安人は、その自然が持つソフトなエネルギーを、「襲ね」という色の組み合わせで表現し、ただ自然を模すのではなく、自然そのものに融和することを試みたのである。そして、十二単こそ、その一つの完成形であり、それは単なる様式美を超越した、「揺るがぬ移ろい」とでもいえる永遠性を具備したものではなかろうか。
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