平安末期、鳥羽天皇の頃に、花園の左大臣と呼ばれた源有仁公(1103〜1149年)が開祖となり、装束を、威儀正しく、美しく整えるための着付け方法が案出されました。これを「衣紋道」といいます。つまり衣紋道とは、装束の着装法のことです。
装束の着装は、平安中期の頃までは柔らかい装束(柔装束)を着用していたため各自各個が行いましたが、装束が次第にゆるやかに大きくなり、「強装束」と呼ばれる糊をきかせた硬く厚い生地で作られたものとなると、自ら着装しかねて衣紋者(着付ける人)を必要としたため、衣紋道が生まれました。
源有仁公が創始した衣紋の道は、その没後に徳大寺と大炊御門の両家に伝わり、さらに鎌倉時代に山科、高倉両家がこれに代わって衣紋の家となり、今日に及んでいます。装束の着装法の伝統は、山科、高倉両家によって、鎌倉時代より連綿と受け継がれてきました。
衣紋を奉仕するものを高倉流では「お服の者」といい、このお服の者が「お方(着る方)」の後ろにまわって、お方の前を担当する「御前装束人」の補助を得てお服を上げます。現代では、「お服の者」を「後衣紋者」、「御前装束人」を「前衣紋者」と呼ぶことが多くなっています。
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