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| 七夕飾り |
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| 乞巧奠(きっこうでん) |
| 今年度(2007年)も国際文化学園では旧暦7月7日(本年は8月19日)の『乞巧奠』(七夕飾り)を平安時代の文書より再現いたしました。 |
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| ■■■乞巧奠■■■ |
| 「七夕」を「たなばた」と呼ぶのは、「棚機(たなばた)つ女(め)」すなわち織り姫の呼び名から来ています。 天の河を隔てて一年の間、会うことのできなかった織姫が牽牛に七月七日の夜にのみ会うことができるというもので、この夜、織物・詩歌・管絃などの技芸を祈る日本の年中行事です。 |
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| 「七夕」とは『乞巧奠』とも呼ばれる古代中国の行事に由来します。魔除けの風習から始まった『乞巧奠』は、7月7日に食べるならわしだった「索餅(さくへい)」というお菓子や「むぎなほ」という今の素麺や冷麦などの麺類などにその影を残しています。 |
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| この魔除けの行事が牽牛織姫の伝説と結びついて、7月7日の夜に機織りのみならず詩歌管弦や書道などを含めて幅広く技芸の上達を折って供物を捧げる行事として定着しました。 |
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| 平安時代の宮中では熟瓜(うれうり)・梨・大角豆(ささげ)・茄子(なす)・桃・大豆・干鯛(ほしだい)・薄鮑(うすあわび)などの山海の産物をお供えし、梶の葉に古歌を書き、琴を飾って祈りました。現在七夕には色紙や短冊に歌や願い事を書いて竹に飾り、翌朝には川や海に流すのが一般的です。 |
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| 国際文化学園では有職文化研究所の仙石宗久 宗会頭(本校礼法講師)の指導のもと『乞巧奠』を再現してみました。次の世代を担う皆さま方に平安の雅な文化に触れていただき、皆さまの御家庭で後世に伝えていただきたいと考えました。竹と短冊・筆を御用意いたしております。祈りや願い感謝の言葉を書いて竹に結びつけてください。 |
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| ■■■「雲図抄」(平安末)より■■■ |
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| ■■■『建武年中行事』より■■■ |
| 夜に入りて乞巧奠あり、庭に机四脚をたてて灯台九本、各ともし火あり。机に色々の物すゑたリ。箏のこと柱たてて是をおく。机の上のひとりに、よもすがらそらだきあり。陰陽寮、時を奏す。ことぢに三の様あリ、常はばむじき調、半呂半律秋のしらべなり。是は秋の秘事にて侍るゆゑしる人少なし。 |
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| ■■■『増鏡』元享三年(一三二三)より■■■ |
| その七月七日乞巧奠いつの年よりも御心とどめて、かねてより人々に歌ども召され、ものの昔どもも試みさせ給ふ。その夜は、例の玄象ひかせ給ふ。……略 《玄象》玄上とも。霊力をもつとされる琵琶の名器で、清涼殿の御厨子棚に六弦の和琴の名器「鈴鹿」とともに常に置かれていた。撥面に玄き象が青鉢の水を呑む図があったので「玄象」という名がついたともいうが、『古今著聞集』には「早くからこの撥面の絵は消えていたので知る人はいない」という。また騎馬にて打毬している図ともいい、竜に乗った童子の図との説もある。『禁秘抄』には、この「玄象」は内裏炎上のときに飛び出でたとある。 |
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| ■■■『中務内侍日記』正応元年(一二八八)より■■■ |
| 七月七日、院の御所より露の御草子とてめんめんに給はりて歌よみ侍る。権大納言のすけ殿にたづねまゐらすれば、「御しもに」とあり。御つぼねをひきあけたれば、「この御草子かけば北山殿のけふ恋しく思ひだされて」とて たきもののふけしけぶりの末までもよとせの秋はあはれなりしをと。やがてかはらせ給へば、思ひいでの恋しきも、かくなればいとど色そひて、げにやげにいつも星合の空なれどよとせの秋はあはれなりしをまちえたる今日もけふこそ嬉しけれたなばたつめやけふもけふなる くれぬれば乞巧奠の火のびかり水にうつろひてけしきことにおもしろし。ことぢたてよ、洞院の宰相中将なり。………略 《院》 後深草上皇をさす。 《御しもに》権大納言典待は自分の局に下がっているという返事があった。 《北山殿》西園寺ともいい、今の金閣寺(鹿苑寺)の地にあった西園寺公経創建の山荘で、その規模の大きさは『増鏡』にも見える。ここに弘安七年七月五日から二十一日まで当時の東宮(この日記のころの伏見天皇)の行啓があった。 《かくなれば》《げにやげに〜》御代がわりの今となっては四年前の七夕もとくにしみじみと思い出される。 《まちえたる〜》お待ち申し上げていた君の御代の七夕をお祝いするのは嬉しいことである。そして棚機つ女(=織姫)も一年に一度の今日を喜んでいることだろう。 《ことぢたてよ》七夕の「琴柱立て」すなわち調弦は秘事とされ、知る人が少なかった (『建武年中行事』)。 |
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| ■■■競馬香■■■ |
| 「競馬香」は、別名を「競香」ともいい、盤物の組香の中でも代表的なものです。何種類かの香をあらかじめ薫き比べ、つぎに名を伏せて薫いた香の名を当ててゆきます。当たりに応じて駒を進めて行くことから競馬香の名があります。 「競馬」と書くと有職の世界では「くらべうま」または「きそいうま」と読み、王朝時代には儀式として行われていました。中でも毎年五月の武徳殿におけるものや、同じく五月に賀茂神社にて行われたものは、とくに名高いものです。 賀茂社の競馬を例に採ると、これは毎年五月五日に行われるもので、距離二百四十間に騎士二十人が参加します。その騎士を左右に分けて左方は赤袍・右方は黒袍を著し、裲襠に老懸・冠を着け・空走の後に左右各々並んで競走するというものです。 競馬香の騎士人形の装束は、左方は唐楽の打毬楽の衣裳、右方は高麗楽の狛桙の衣裳です。これは、御馬御覧の儀式に由来します。 |
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| ■■■リンク■■■ |
| 天文民俗学のページ(横浜こども科学館) |
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